ハイブランド買取物語8 パテックフィリップの偽物 矢田部貴一の場合

俺と銀座とショーウィンドウ
久々の銀座はとても騒がしく、矢田部(51)は口元を緩めた。
あまりにも人がいないよりは、こうして騒がしい方がまだいい。
少し立ち止まり、ショーウィンドウで自分の姿を確認する。
白髪が若干目立つ髪は、染めるよりもこのままの方がリアルだろうと思った。
服はノーブランドだが、しっかり洗濯してあるしヨレや黄ばみもない。
自分の眼光が若干鋭いが、これはどうしようもない。
うん、いいだろう。ハイブランドを持っていても疑問を持たれない格好だ。
手に提げている紙袋の中身を覗き見て、深く頷いた。
紙袋の中身

今回買ったパテックフィリップも、かなり精巧な仕上がりだ。
ギャランティカードも本物そっくりだし、内部のパーツもほぼ本物と言って差し支えない出来だった。
買いつけるたびに精度が上がっている気がする。3DプリンターやAIの恩恵だろうか。
しかし矢田部にはそこまでは分からない。理解する必要もない。
紙袋の中身は購入したばかりのパテックフィリップ……の偽物だ。
海外のコピー品販売業者からネットを通じて手に入れた。
精巧なつくりなので一眼見ただけでは偽物だとはわかりっこない。
矢田部はハイブランドの精巧なコピー品を購入し、本物と錯覚させて売却していた。
1本あたりの買取額は300〜500万円前後。
これまでに何本も同じような腕時計を買い取らせ、総額5,000万円超を騙し取ってきた。
矢田部からすれば、楽に大金を稼げる方法なのだ。
不機嫌を装って販売先を吟味

今日持ってきたのはパテックフィリップの偽物一点のみ。
初めて持ち込む買取専門店なので、反応を見るために1本限定とした。
ネットで調べた住所に向かい、躊躇せずドアを開ける。
「いらっしゃいませ」
整然とした佇まいの店員が明るく声をかけてきた。
店員に向かい開口一番「これを買い取ってくれ」と不機嫌に紙袋を押し付ける。
不機嫌を装えば多少の無理が効くことを、矢田部はよく知っていた。
「かしこまりました。こちらにかけて少しお待ちください」
店員に言われたとおり椅子に腰掛ける。
店員は目の前で紙袋から腕時計を取り出し、査定を開始した。
店内を改めて見渡す。
こぢんまりとしていて居心地が良い。
しかし矢田部はイライラと貧乏ゆすりをする。
気を散らせて細かい査定をさせないためだ。
5分程だろうか。「お待たせいたしました」と声をかけられ顔を上げる。
さて、今回はいくらの値がつくか。
500万円程度つけば御の字だが。
しかしいつも思うように事が運ぶとは限らない。
目の前に紙袋をずいと突き出された。
「残念ながら、こちらの腕時計はお買取できません。申し訳ございません」
若干申し訳なさそうに頭を下げられた。
どうやら偽物だとバレたようだ。クソッ!
「これはパテックフィリップだぞ。ギャランティカードもある」
「恐れ入りますが、弊社の買取基準を満たしておりませんので、お買取はできかねます。申し訳ございません」
「これだけ待たせて買取できないなんてあるか!誠意を見せろ!」
テーブルを叩き威圧する。載っていた紙袋が飛び跳ねた。
これ以上騒がれたくなかったら買取するか幾ばくかの金を払えという要求だ。
「申し訳ございません」
そう言うと店員は奥に向かって目配せした。
これはマズイ。警察を呼ばれる。
「もうこんな店、二度と来んからな!」
紙袋を引っ提げて、足早に店を出た。
終わりはいつも一瞬で

矢田部はギリギリ走り出さない速度で歩みを進める。
きっと顔を覚えられた。あの店は今後使えない。
また違う店を開拓するか……
仕切り直しにコーヒーでも飲もう。
喫煙OKの古き良き喫茶店に足を向ける。
その時、後ろから肩を叩かれた。
「あのーすみません、ちょっとお時間よろしいですか?」
わざとらしい笑顔を貼り付けた警官が立っていた。
後から知ったが、仕入れ先の業者がパクられたらしい。
顧客リストに矢田部の情報が掲載されており、これまでに買い取らせた店からの被害届も出されていて、実は数日前から指名手配されていたのだ。
あ〜あ、これで終わりか。
紙袋を足元に落とし、天を仰いだ。
